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東京高等裁判所 昭和37年(ネ)2612号 判決

控訴人 三宅清

被控訴人 東京大学学長

訴訟代理人 横山茂晴 外二名

主文

本件各学位請求却下処分の無効確認を求める請求を棄却し、本件各学位請求論文審査手続の無効確認を求める訴を却下する。

控訴費用は、控訴人の負担とする。

事実

控訴人は、「控訴人の本件論文『御杖の学説』および『荷田春満』による各学位請求論文の審査手続並びに被控訴人学長のなした右各論文による学位請求却下処分がいずれも無効であることを確認する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人指定代理人は主文第一項と同旨の判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述並びに証拠の提出、認否、援用は、以下に訂正、附加するほか、すべて原判決の事実欄に記載してあるところと同一(但し、原判決二枚目表十一行目に「もつと」とあるのは「もつて」の、同じく四枚目裏二行目に「専問外」とあるのは「専門外」のいずれも誤記と認める。)であるから、ここにこれを引用する。

第一、控訴人の陳述

(一)  控訴人は本訴において、被控訴人学長が控訴人の本件論文「御杖の学説」および「荷田春満」の二論文による各学位請求を却下した処分の無効確認を求めるのみならず、右却下処分に至る過程としての本件学位請求論文の審査手続そのものの無効確認をも求めるものである。即ち、本件訴は前記論文審査の過程においては以下に述べるような不当、違法があるから、このような審査は無効であるということが根源であり、その審査手続の無効確認請求を中軸とし、併せて被控訴人学長のなした学位請求却下処分の無効確認を求めるにあるのである。

(二)  控訴人は昭和二十一年九月被控訴人学長に対し、「御杖の学説」をもつて学位請求をなしたが、この論文は長年月の間審査されなかつた。同論文は同年十月十六日頃主査たる久松潜一教授の手に渡されたようであり、右主査は同論文の審査を始められたかも知れないが主査の手許にとめおかれ、副査はこれを審していないようである。而して前記久松教授が昭和三十年三月定年退官した後、その後任の主査となつた時枝誠記教授は昭和三十五年九月まで約五年間に亘つて全く前記論文の審査をなさずに放置していたのである。そして徒らに審査未了の名目でのばしていたのは甚だしく不法であつて、審査委員は一年以内に教授会に対してその審査の結果を報告しなければならないとする東京大学学位規則に違反するものである。

(二)  東京大学学位規則によれば、教授会の学位論文審査は、その指定する審査員に命じて論文を審査させ、審査員の審査の結果の報告をまつて請求にかかる学位を授与すべきか否かを議決し、その議決を学長に報告し、これにより学長は右報告どおり処分することとなるのであるが、本件において控訴人の前記二論文審査の主査たる時枝教授は言語学の一部門である国語学を専攻し、古典学、神道学などについては全く異域の者であつて、控訴人の論文を審査するに足りる造詣がなく、専門違いの不適任者である。その上同教授は控訴人に対する甚だしい悪感情若しくは偏見に基づき主査たる地位、権限を濫用して教授会に対し、控訴人提出の前記二論文の趣旨をことさら歪曲して事実に反する報告説明をなし、右二論文が実質的には学位授与に値することを十分に知りながら、これに値しない旨あえて虚偽の報告を行つて教授会の議決を誤らしめたものである。

(三)  控訴人は時枝教授の勧めに従い、昭和三十五年十月十三日「荷田春満」を主論文とする旨を申入れたのであつて、控訴人が自ら好んでこのような申入れをしたのではないのである。然るに時枝教授はかかる事実を隠蔽し、教授会に対して全然右事実の報告をなさず、教授会を欺罔して正当な議決を阻害したものであつて、これはまさに理性を超越し、道義に外れた行為であり、不当不法これに過ぎたるはない。

(四)  それゆえかかる審査は形式上審査手続を経たというだけであつて、全く専門を異にする審査員に審査を行わせ、見当違いの審査報告に依拠するものであつて、審査の実がなく、実質的には学位論文の審査をしたということはできないから、このような審査は無効であり、その結果被控訴人学長のなした学位請求却下処分も無効である。本件各論文審査手続にはこのような不当、違法があり、右審査は控訴人の学者としての名誉を著しく傷つけ、学位取得の機会を不当に剥奪するものであるから、控訴人は本訴において右審査手続の無効確認を請求するとともにこれに基いてなした被控訴人学長の前記却下処分の無効確認をも求めるものである。

(五)  而して右無効確認がなされるときは、審査員の不法審査によつて不当に蒙らされた控訴人の不名誉は取消され、教授会は改めて前記二論文の審査をやり直さざるを得なくなるので、控訴人は右無効確認の判決を求める利益を有するものである。

(六)  本件却下処分当時における本件二論文の副査は、「御杖の学説」については五味智英、岩生成一両教授であり、「荷田春満」については坂本太郎、五味智英の両教授である。而して五味智英教授は国語国文学を専攻し、坂本太郎、岩生成一両教授はともに国史学を専攻する者である。

(七)  本件学位請求は東京大学学位規則(乙第一号証)第三条の一般の場合に該当するものである。

(八)  なお、

(イ)  原判決二枚目表二行目から三行目にかけて、「昭和二九年三月同教授(久松潜一教授を指す。)は定年退官し」とあるのは昭和三十年三月の誤りであつて、昭和二十九年三月は控訴人が久松教授に論文審査について聞いた年月である。

(ロ)  同じく二枚目表四行目から五行目にかけて、「右論文を審査していた。」とあるのは誤りであつて、時枝教授は主査を継承した筈であるが、実際には何ら審査をしていなかつたのである。

(ハ)  被控訴人学長のなした本件学位請求を却下する処分の通知はすべて東京大学事務局長進藤小一郎名義の書面をもつて、同大学文学部教授会において控訴人に対し学位を授与しないことに議決されたから通知するという形でなされ、その書面は論文「御杖の学説」については昭和三十五年十一月四日付で同月十一日頃控訴人に到達し、論文「荷田春満」については昭和三十六年四月十四日付で同月十七日頃控訴人に到達したものである。

(ニ)  同じく五枚目裏七行目から八行目にかけて、「原告から永遠に旧制学位の請求の余地を奪つたことは『違法』である。」とあるが、控訴人は右事実を「不当」と主張しているが、「違法」とは主張していない。

(ホ)  同じく五枚目裏十一行目から十二行目にかけて、「被告の各却下処分を取り消し、審査のやり直しを求めるためとあるが、本訴においては、控訴人は右各却下処分の取消はこれを求めないこととする。

第二、被控訴人の指定代理人の陳述

(一)  本件各論文審査手続は行政処分ではないから、その無効確認を求めることは行政処分の無効確認訴訟の対象とはならない。従つて控訴人の本訴請求中、右訴の部分は却下されるべきである。仮りに右が理由がないときは、被控訴人は本案について請求棄却の判決を求める。控訴人の当審における請求の趣旨訂正変更には異議がない。

(二)  控訴人の主張事実中、控訴人がその主張の二論文をもつて被控訴人学長に対し、文学博士の学位請求をしたこと、国語学を専攻する東京大学文学部教授時枝誠記が久松潜一教授の後を受けて主査たる審査委員となり、論文「御杖の学説」については、国語国文学を専攻する五味智英教授および国史学を専攻する岩生成一教授が副査となり、また論文「荷田春満」については、右五味智英教授および国史学専攻の坂本太郎教授が副査はなつて右二論文の審査をしたこと、右文学部の教授会において、右二論文については学位を授与すべきでないとの議決をしたこと並びに右議決に基づき、被控訴人学長が控訴人の学位請求を却下する処分をしたことはいずれもこれを認めるが、主査たる時枝教授に本件各論文審査の適格がないこと並びに右時枝教授が文学部教授会に対し、虚偽の報告をなし、教授会をしてその議決を誤らしめたことはいずれも否認する。本件各論文審査手続には控訴人主張の如き不当違法の事実はない。

(三)  仮りに時枝教授が本件二論文の属する古典学以外の学問を専攻する者であるため、本件各論文の主査として足りないところがあつたとしても、右審査は主査のほか、国文学または国史学を専攻する前記教授二名をそれぞれ副査とし、計三名の審査委員によつて十分に審査されたものであるから、かかる審査手続には実質的に何ら非難さるべき廉がない。

第三、新たな証拠〈省略〉

理由

按ずるに、本件については、控訴人は昭和三十七年四月三日原裁判所に訴状を提出して、「被告は、原告の提出した学位請求論文『御杖の学説』を却下した。そうして『御杖の学説』のかわりに被告側審査員が原告に要求した差しかえ論文『荷田春満』を、原告が再提出して審査を請求したのに、被告は再び此論文を却下否決した。この審査の過程は甚だ不当であるから、却下の判定を訂正し「審査のやり直しをなすべきであるとの判決を求める。」旨の行政訴訟を提起し、右訴訟は行政事件訴訟特例法第五条第三項の規定に適合する適法なものである旨主張したので、原裁判所は、右訴訟が、控訴人において前記二論文による学位請求に対する被控訴人学長の却下処分の取消を求めるため、同法第二条に基く行政訴訟を提起したものと解し、かつ、控訴人がその出訴期間を徒過したものとして訴却下の判決をなしたものであることは記録上明白であるから、控訴人の真意が那辺にあつたかにかかわらず、原審における本件訴訟の形態は行政事件訴訟特例法第二条に基づく行政処分取消請求訴訟であつたと解すべきである。

然るところ、右判決に対し、控訴人は同年十一月十一日「原判決を取消す。控訴人の学位論文審査において、被控訴人は、昭和三十五年十一月『御杖の学説』を、昭和三十六年四月『荷田春満』をそれぞれ却下したと称するが、右はいずれも不当であり、違法であるから倶に無効である。従つて控訴人の論文については、被控訴人に於て自発的に審査のやり直しをなすべきものである。訴訟費用は被控訴人の負担とする。」との判決を求める旨を記載した控訴状を提出して控訴の申立をなし、次いで当審口頭弁論期日において、控訴人は前記二論文の審査のやり直しを求める部分を撤回し、当審においては、右二論文による学位請求に対する被控訴人学長の却下処分に至る過程としての論文審査手続の無効確認を求めるとともに被控訴人学長のなした右却下処分の無効確認を求めるものであり、右処分の取消を直接の対象としないとその訴旨を釈明し、その旨控訴の趣旨を訂正変更し、これに対して被控訴人の指定代理人は控訴人の右訂正変更に異議がない旨を述べたことは弁論の全趣旨に徴して明らかである。右経過によれば、控訴人は原審における前記行政処分取消請求を維持せず、これと同一の請求の基礎に立ちつつその訴を変更し、右取消請求訴訟に代えて現行行政事件訴訟法第三条第四項、第三十六条に認められているのと同様な無効確認訴訟を提起したものであり、被控訴人においては右訴の変更に異議がないのであるから、旧訴は右訴の交換的変更より適法に取下げられ、新訴のみが当審に係属するに至つたものというべきである。従つて当裁判所としては控訴人の旧訴の当否を判断する必要がないから、新訴についてのみ以下にその判断を示すこととする。

控訴人主張の事実中、控訴人が昭和九年東京帝国大学文学部国文学科を卒業し、文部省国民精神文化研究所助手浦和高等学校教授を経て昭和二十四年六月東京大学助教授に任命され、昭和三十四年五月同大学を退職した者であること、控訴人が昭和二十一年九月同大学に対し、論文「御杖の学説」により文学博士の学位を請求し、右論文は当時同大学文学部国文学科の主任教授であつた久松潜一がその主査たる審査委員となつたこと、その後同教授が定年退官となり、同教授に代つて国語学を専攻する時枝誠記教授がその主査たる審査委員となつたこと、昭和三十五年十月二十六日同学部教授会において主査たる時枝誠記教授(当時、副査は国語国文学を専攻する五味智英教授および国史学を専攻する岩生成一教授であつた。)から、控訴人の前記論文は学位授与の資格がない旨の報告がなされ、同教授会が右報告を承認し、学位を授与できないものと議決したこと、更に控訴人は昭和三十六年二月九日東京大学に対し、論文「荷田春満」をもつて再び文学博士の学位請求をなしたところ、同論文についても前記時枝誠記教授が主査たる審査委員となり副査には前記五味智英教授および国史学を専攻する坂本太郎教授がなつたこと、同年三月二十九日同大学文学部教授会において主査たる時枝教授から、控訴人の右論文は学位授与の資格がない旨の報告がなされ、同教授会が右報告を承認して学位を授与できない旨の議決をなしたこと、右各議決に基づき被控訴人学長が控訴人の前記各論文による学位請求を却下する処分をなし、その処分の通知に当つては、すべて東京大学事務局長進藤小一郎名議の書面をもつて、文学部教授会において控訴人に学位を授与しないことに議決されたから通知するという形式を採り、その書面が論文「御杖の学説」については昭和三十五年十一月四日付で同月十一日頃控訴人に到達し、また論文「荷田春満」については昭和三十六年四月十四日付で同月十七日頃控訴人に到達したことは、いずれも本件当事者間に争がない。而して当審証人時枝誠記の証言によれば前記教授会における審査報告はいずれも前記審査委員の審査の結果に基いたものであることが認められる。

然しながら、控訴人提出、援用のすべての証拠によつても、未だその主張の如く本件各論文の審査手続に被控訴人学長の前記処分を無効ならしめるような重大な欠陥があるものとは認められない。

尤も成立に争のない乙第一号証(東京大学学位規則)によれば、東京大学学位規則第七号には「審査委員は一年以内に教授会にその審査の結果を報告しなければならない。」とあるのに控訴人の論文「御杖の学説」については、控訴人が学位請求をした昭和二十一年九月から右請求却下処分のなされた昭和三十五年十一月まで十四年余の歳月を経過していることが明らかであるが、前記規則第七条の但書には「特別の事情があるときは、教授会の議決によつて審査期限を延長することができる。」との定めがあり、当審証人時枝誠記、同桂寿一の各証言によれば、控訴人の本件学位請求当時東京大学文学部には数十件の学位請求論文が提出されていて控訴人の前記論文「御杖の学説」の審査をする余裕がなかつた事情があり、また右論文の前任主査たる久松潜一教授の定年退官による主査の交替という余儀ない事情があつてその審査が遅れたものであることが窺われ、従つて前記各位規則第七条但書の規定により適法にその審査期限が延長されて来たものと推認するを相当とするから、右論文審査にあたつて前記のように長年月を経過したからといつて、これをもつて直ちにその審査の過程に甚しき不当があるものとはいえない。

また当裁判所が真正に成立したものと認める甲第一ないし第五号証の各記載と当審証人時技誠記の証言とを綜合すれば、控訴人の学位請求論文「御杖の学説」の前任主査たる久松潜一教授は控訴人の学位請求に関しては右論文によるよりは「荷田春満」を主論文とし、「御杖の学説」をその副論文とする方が適当であるとの意見を抱き、控訴人に対してそのようにすることをすすめた控訴人からかかる手続をとるに至らないうち久松潜一教授が定年官するに至つたこと、しかし同教授は退官後その後任主査となつた時枝誠記教授に対して右の意向を伝えたので、同教授もまた控訴人に対してその旨を申入れ、論文審査の関係から昭和三十五年十月中旬頃を最終期限として控訴人に対し、前記論文「御杖の学説」による学位請求を取消し、その代りとして「荷田春満」を主論文とし、「御杖の学説」を副論文とする学位請求をし直す意思があるかどうかを確かめたが、控訴人がその頃までにこれに従つた正規の手続をとらなかつたことが認められるけれども(他に特段の反証がない。)、前記時枝誠記教授において右両論文がいずれも学位授与に値するものであると認めながら、控訴人に対する個人的な悪感情もしくは偏見に基き、その主査たる地位権限を濫用して文学部教授会に対し控訴人提出論文の趣旨をことさらに歪曲して、あえて反対の審査報告を行なつたものと認むべき証拠はないし、同教授が右教授会において前記認定の如き経緯を報告しなかつたからといつて、それだけで同教授の審査報告が教授会を欺罔し、その議決を誤らしむべく作為したものであると推断することもできない。(なお、右二論文が学術的に見て学位授与に値するものであると推断することもできない。(なお、右二論文が学術的に見て学位授与に値するものであるか否かの判断は裁判所の権限外であると考えられるから、この点の判断はしない。)

以上のとおりであるから、被控訴人学長が右教授会の議決に基いてなした本件各論文による控訴人の学位請求却下処分はいずれも有効であつて、控訴人の右処分無効確認請求は理由がないからこれを棄却すべきものとする。

次に学位請求論文の審査に関する論文審査委員特にその主査の選定、論文内容の審査、教授会における審査委員の審査結果の報告、審査の結果についての議決等一連の審査手続は、東京大学学位規則第三条に基く学位請求に対して被控訴人学長がなす学位の授与、不授与の処分の前提となるにすぎないものであることは前記東京大学学位規則(乙第一号証)の規程の趣旨からみて明らかであるから、一般に論文審査手続における処置は未だこれをもつて行政事件訴訟特例法ないし行政事件訴訟法にいう行政処分に該当しないものというべく、従つて控訴人は本件論文審査手続の無効を主張してその無効確認訴訟を提起することはできないものといわなければならない。

仮りに本件趣旨が通常の民事訴訟として右審査手続の無効確認を求めるものであると解しても、右は控訴人の現在の権利もしくは法律関係の確認を求めるものとはいえないから、民事訴訟法上の無効確認訴訟としても、これを許すことができない。

されば控訴人の本件各論文審査手続の無効確認を求める訴は不適法であり、その欠缺は補正できないものであるから、右訴は不適法として却下すべきものとする。

よつて訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第九十五条、第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 奥野利一 野本泰 海老塚和衛)

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